つくるひと 2024.03


お互いが笑って生きていける道を選ぶ

河野 景介さん(サントアン パティシエ)



 「やっぱり、仕事は楽しくしたいっていうのがあります。それは一番ですね」

仕事をする上で大事にしていることを尋ねると、河野さんはこう言った。「暗い気持ちで作るケーキって伝わりそうなんで。モチベーションだったり、気分は大切にしていきたいです」と、続く。

 苦しい時期も歩いてきたから、心から出てくる言葉。向かう方向は、明るく楽しいケーキ。


 河野景介さんは、ケーキ屋の次男坊として生まれ育った。幼い頃、サッカーがやりたいと言って連れて行ってもらったのはラグビー場。それからずっとラグビーを続けてきた。高校卒業後の進路にはラグビー推薦の道もあった。「ラグビーして会社員をして、スポーツの寿命がきたら普通の会社員になってっていうのが、すごいしっくり来なくて。進路を決める時、家族のためっていうのが一番大きかったです」。

 祖父の代から続いている実家のケーキ屋を継ぐと決めた。親孝行をしたいという気持ちが当時の河野さんにとっては一番大きかったから。

 ホテルのケーキ部門で働いていた祖父が兄弟で開業し、河野さんの父が継いで守ってきた店。製菓専門学校在学中も「実家ならどんなケーキができるかな」と、店を継ぐ目線から考えてきた。都会的で複雑なケーキを作るシェフが講師に来てくれた時には「そんなに魅力を僕は感じなくて」。実家のお店でお客さんがよく選ぶのは大きなケーキ。「大雑把なイメージだけど、関西のケーキってボリュームがあって、値段も安くて、フルーツもたっぷりあって。関西のケーキ屋に憧れて」。自分の好きなケーキと、お店のお客さんたちが好むケーキの重なる方向。そんな話を先生に伝えると、卒業後の修行先として紹介してくれたのがサントアン。


 サントアンで働き3年半程経った頃、河野さんに転機が訪れた。父が大病を患い、急遽実家に戻ることに。「僕が三田から帰ったタイミングで兄と妹も帰ってきて、兄弟みんな全然経験がないままそれぞれ継いだっていうか。前からいたスタッフの方と一緒にお店を継続していきました」。何もわからないまま。でも、絶対に何とかしてやろうとがむしゃらに働いた。専門学校時代の後輩、小夏さんと結婚し、パティシエでもある彼女も交えとにかく一生懸命に5年間。その間、父は無事快復。そして、何とか兄弟で舵取りし進んできた場所が、河野さん自身の幸せとは離れていることにも気がついた。「僕は哲学的なこと苦手なんで幸せとか考えたことなかったですけど、好きな奥さんと笑って過ごせないっていうのは僕の中では良くない」。

 自分のやっていきたいことと実家の方向は違うかもしれない。自分が悩む分、奥さんにもそれが伝わっていく感じがあった。そもそも実家を継ぐために進んできた道、離れるのは苦渋の決断。でも、兄と妹がいてくれ、お店は残る。それなら。河野さんが選んだ新しい道は「奥さんと自分が笑って生きていける道。ふたりがいい道っていうのをいけたらなって」。正解不正解はないと思ってる、と河野さんは言った。それは、進む道を決めた人の言葉。


 サントアンに再び戻ってきたのは、折に触れ相談してきた元会長が「戻ってきたら」と声をかけてくれたこと。そして、一緒に働いていた仲間が家族旅行を兼ねて会いにきて「戻ってきてほしい」と、言ってくれたこと。他にも選択肢はあったけれど、サントアンがいい、と思った。小夏さんと2人でお店を構えるという新しい夢を抱え、再び修行に戻ってきた。

 河野さんが戻ってきたことを、喜ぶ仲間がここにはいる。河野さん自身も、農園見学や経営講座など自分のやりたいことを率先して企画。興味のあるスタッフにも呼びかけ、段取りを行う。もともとワイワイとみんなで過ごすことが好き。自分がしたいと思っていることを、同じ思いの人がいれば、呼びかけて一緒にやってみる。そうすればみんながいい感じになるという体感がある。人を元気にする人。その河野さんを元気にするのが小夏さん。本質を突いてくるから誤魔化せない。一番大切にしたいことが何か、気づかせてくれる人。


 「ケーキ屋さんはもともと小夏の夢でもあるし、僕はケーキを辞めないでよかったって思いになるために続けていくのかなって」。実家を継ぐという強い気持ちは絶った。けど、ちゃんとケーキに携わって生活している姿を親に見せたい。どこかそんな気持ちがあると河野さんは言う。親孝行したいという最初の動機や、絶対に実家を守ろうと懸命になった気持ちの強さが、今もそこに、そっと宿っている感じがした。


 小夏さんはどんなケーキを作るんですか?と尋ねると、河野さんの声が弾む。実家のお店で共に働いていた時期、小夏さんが作っていたケーキに触れ、「どちらかというと僕とはちょっと逆かもしれないですけど、都会的なケーキを好んで作っていましたね。でも、味は結構シンプルですごい美味しかったです。本当に自分が納得するまで作り続けられるんで、美味しく食べられました。妥協せんなぁと思います」。


 2、3年後を目処に、ふたりは独立を目指す。「開業ミーティングって、お店の話をするんですよ。最初の項目が明るくなるお店作りってタイトルをつけてて。どうしたら楽しいってバーって出して、そこから始めてるんで、もう、明るく楽しいお店にはなるだろうなって思っていますね」。作っている時の気持ちが伝わっていくと思う。だからこそ、明るく楽しい気持ちで作るケーキをこれからは。その未来に向かって。



取材・文章 西 尚美