三田菓子サント・アン

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お菓子の話

『くわばら くわばら』

三田の民話「くわばらくわばら欣勝寺」にまつわるお菓子です。 お寺の井戸に落ちた雷のこども。 「これから桑原には雷を落としません」と約束をして和尚さんに助けてもらいました。それから桑原には雷が落ちなくなったとさ。くわばらくわばら。 雷難除けや”落ちない”ことから合格祈願で訪れるお寺です。 是非三田へお越しの際は足をのばしてみてください。

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サンダーな三田

サンダー(Thunder)といえば・・・人形劇でありながらリアルな模型、挫けない精神力の登場人物、どきどきのロケットの特撮技術、子供心に多大な影響を与えた「サンダーバード」、洗練されたデザインのメカたちや音楽に心躍らせた世代である。他に思い付くのは雷電ドロップの技でプロレスブームを沸かせた「サンダー杉山」(古いから知らないかなぁ?)。そして今は無き北陸金沢行雷鳥号の後継者である「特急列車サンダーバード」などが思い付きますね。

さて、おかしな話にならないように軌道を修正。サブレ「くわばら くわばら」は雷坊やにちなんだお菓子です。ドイツ製の旧式なモールド成型機を大切に労わり治しつつ使って型抜きをしています。そのあとはラックごと焼けるオーブンに入れて焼成しているのです。いよいよこの「お菓子のいわれ」シリーズは最終に近づきました、今回は三田と雷のお話です。


「くわばらくわばら」の由来

雷が激しくゴロゴロ鳴っている時に「くわばら くわばら」と唱えると、そこには雷が落ちてこないと昔から言われていました。幼児期は雷鳴がとどろくと「雷さんにヘソを取られる」と教えられて、素直に蚊屋の中央にてへそを隠した経験があります。蚊屋:カヤ(夏の夜に蚊を防ぐため、四隅をつって寝床を覆う、中世ヨーロッパのお姫様気分を味わえるゴージャスな天蓋ベッドとは違いますよ)

「くわばら くわばら」の由来には諸説あるようですが、平安時代の菅原道真の領地だった「桑原」と言う地名から来ていると言う説が有力のようです。菅原道真は藤原氏の陰謀で、京都から九州の大宰府へと左遷され、子供四名も流刑にされました。その地で京を思い出しつつ、藤原氏を怨みながら亡くなったと言う事で多くの逸話が残っています。道真の死後、藤原の関係者は次々と謎の死をとげたとも言われています。その恨みのエネルギーは凄まじく、京都の御所では雷が落ちるたびに道真が雷様となって藤原氏に復讐していると噂しました。恨みを抱きつつの生涯だったので魂は怨霊となって、政敵たちが暮らす京に雷を落としまくったというのです。

このような伝承は平将門や崇徳天皇とともに日本三大怨霊のひとりに数えられています。そこで人々は藤原氏の巻き添えを食って雷に当たらないようにと「ここは道真様の領地の桑原ですから、雷は落さないで下さい」と言う意味で「くわばら くわばら」を唱えたと言うものです。菅公の領地桑原には一度も落雷がなかったということです。

また、一方では桑原は大阪の和泉市にある地名だという説もあるようだと、三田市の欣勝寺(後ほど詳しく)ご住職谷口真弥さんから聞きました。その地にある西福寺には雷井戸と呼ばれる井戸がある。このお寺には奈良時代に道行と言う修行僧がいて、雷に遭遇したとき、慌てずに大般若経を浄写したところ雷がピタリとやんだという伝説があります。以来、その井戸には雷を封じ込める力があると言われるようになりました。また僧説と異なり、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったともあります。



三田の欣勝寺の雷坊や

ナレーション市原悦子の「まんが日本昔ばなし」の 『くわばらの起り』として、1980年にテレビ放映されて、三田のくわばら伝説もますます有名になりました。
今から約460年前の1556年(弘治2年)の夏、とても暑い日のことでした。あわて者でいたずら好きの雷の子がいました。ある時、雷の子は雲から足を滑らせて欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとか外へ出ようとしましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。すると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ、桑原へは二度と雷を落とさない」と言ったので和尚さんは雷の子を助けてあげました。
そして雷の子は親のもとに帰り、一部始終を話したのです。雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し、他の雷たちにも「これから欣勝寺や桑原には絶対に雷を落としてはならない」と戒めました。それからというもの欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないといいます。以来、「くわばら くわばら」と唱えると雷は落ちないと、言い伝えられています。この桑原というのはそのお寺のある地名です。
異説は当地からの地名である桑原は桑から由来しているのではなく、「仏教用語」の「クワンバラン」サンスクリット語で、いやな事や、恐ろしい事を避けるときに唱えるおまじないが、いつの日か「くわばらくわばら」となり、「くわばらの欣勝寺」と呼ばれるようになったとのことです。
欣勝寺(きんしょうじ)は三田市桑原に所在する曹洞宗の寺院です。太宋山と号し平安時代中期天禄年間(970~73)に、清和天皇から分かれた源満仲が開いたとされ ています。元は真言宗でしたが、鎌倉時代に曹洞宗の開祖道元が桑原を訪れた際、こちらの寺の山が宋の不老山に似ることから太宋山欣勝寺と命名しました。以後、曹洞宗に改宗されたと伝わっています。ご住職によると三田市は60寺のうち、なんと29寺が曹洞宗とのことでした。
ご住職の祖父は黙雷(幼名:雷太郎)と申されて、実は幼くして三田の別のお寺に入られる予定でしたが縁があって欣勝寺に来られたということでした。2016年の落慶法要の際に雷井戸に掲げられていた、黙雷直筆の「くわばら」のいわれ案内板を洗いにだされました。そして現在は真新しくなって本堂に置かれていました。
さらには本堂正面の山号額「太宋山」は新品のように見えますが、こちらも洗いにだされ修復された際に、三田出身の著名な蘭学者川本幸民の曽祖父である川本周伯英次氏の寄贈であることが、この度の落慶で新たに発見されました。 今もなお、雷信仰の篤い三田市・三木市旧吉川町・丹波市の方々は毎年参拝されるとのことでした。




三田米と稲妻

(和尚)「お前みたいに悪さばっかりしてるやつは、ずっとそうしておるがいい」
(雷坊や)「お尚さん、なんでこのくんだりで、良い米がとれるのか知っているか」
(和尚)「百姓がよく働くからじゃろ」
(雷坊や)「そればっかりじゃないわい。わいらがたいこをたたいて、じょうろでしっかり水をまくからだ」
『三田の民話100選』

「雷ひと光で、稲は一寸伸びる」
三田のお米は、兵庫県南東部、六甲山地の北側に位置する場所で米作りがすごく盛んな地域です。瀬戸内海式気候に属すると言われるが、内陸部に位置するため気温の寒暖差は比較的大きいため非常に美味しいお米がとれる場所と言われています。
稲妻は『稲の夫(つま)』という意味で、電光が稲に当たると稲が妊娠して子を孕むとされました。昔、雷は稲を妊娠させる力があると考えられて、当初は『稲夫(いなつま)』と呼んでいましたが、江戸時代に『稲妻』と誤用さたようです。
気象学的に雷が多いときは降水量や日照が多く、気温が高いなど、稲の生育に都合がよく、昔の人は雷が多いと豊作になることを経験的に知っていたようです。また雷の空中放電により、空中の窒素が分解され、それを雨が地中に溶かし込むと、その土地は栄養分豊かな土地になるとされています。結果、豊作に大きく寄与するともいわれています。雷の放電によってN2はO2と化合して、各種の窒素化合物NOやNO2となり、水分によって植物の成長に欠かせない硝酸HNO3となるとされます。
気象学的に雷が多いときは降水量や日照が多く、気温が高いなど、稲の生育に都合がよく、昔の人は雷が多いと豊作になることを経験的に知っていたようです。また雷の空中放電により、空中の窒素が分解され、それを雨が地中に溶かし込むと、その土地は栄養分豊かな土地になるとされています。結果、豊作に大きく寄与するともいわれています。雷の放電によってN2はO2と化合して、各種の窒素化合物NOやNO2となり、水分によって植物の成長に欠かせない硝酸HNO3となるとされます。
田植えを手伝っていた小学生の時、これまでに聞いたことのない突然の大雷鳴に驚き両親と苗を放置して高台に逃げた。通り過ぎた雷雨の音には田に驚くほどの大穴が雷により空いた。逃げ遅れたら大事になっていたと思い返すが、その年の収穫は豊作だったのか亡き父に聞いてみたいと思う。

以上、まとめていた日は2月25日菅原道真公のご命日でした。


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